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思い返せば初めて個展を開いたのは大学卒業の年、新宿の画廊だった。

絵を描く力量など無いに等しいのに、描けないままに描いて発表した作品は、僕は具象絵画のつもりが人には抽象に観られた。しかし、無知無謀とは素晴しいことで、立派に個展の形態を成していたのだから面白い。きっと誰でも中年以降になって20代の自分を目の前に思い浮かべ、回想に耽ると、きっと気恥ずかしい冷や汗のながれる場面がいくつかあるはずで、僕にとってはまさにその一つ。
されど思い上がりは男の人生の肥やしで、結局のところ創作と発表の本質的なところは変わらない。

当時のことをさらに思い返せば、大学の講師に来られていた小野州一先生がその個展に来られて、「ひろたの絵は腰の回転が入っていていい」と褒め言葉とも批判とも付かぬコメントを残された。まるで体育系の指導の言葉のようだが、その後小野先生を私淑し僕の絵を描く生活が始まったのも懐かしい。

学生時代、教室で皆と一緒にモデルを囲んで絵を描くのが苦手で嫌だった。僕はどうも他の人と一緒に絵を描くとその人々の絵や態度が気になって仕方がないので、結局サボってばかりいた。しかし、大学と縁が切れて、但一人自分の空間の中で絵空事の世界に浸ることに親しみだしたら、徐々にこの素晴しい世界が分かりだした。

さらにさらに昔を振り返ってみると、そもそも僕が絵などに興味を持ちだしたのは、高校時代の勉学にとても付いてゆけなかったためだ。どうも勉学ではこの社会に太刀打ち出来ない様な感覚をいち早く感じたからだとおもう。

すべからく人間は反抗するものがあるとどことなくファイトがわくもので、高校生のときに、美術雑誌で紹介される、当時最先端を行く抽象表現主義のポロックと云う作家のマネなどして過ごした。高校生として一応美大受験の準備をすべきときに、一人まねごとの「Action painting(アクション ペインティング)」がゾクゾクするほど楽しかった思い出がある。Action Paintingとは単に抽象的な書、つまり大きな落書きである。自分の表現創作の原点はそこにあると思う。

考えてみれば、もう五十年半世紀近く絵を描いて来ているわけだ。
若いときの単純な価値観から、若干の経験と、試行錯誤の上にたどり着いたのは百花繚乱、千差万別の芸術の世界だ。数多の才能が数多の作品で競っている世界で、おのれの置かれている立場も分かる年齢となった。若いときのうぬぼれは己を天才のように仕立て絵を描かせたが、長じてその魔法もなかなか出にくくなって来ている、しかし落胆することはない、反面意図的に自分に魔法をかけ美の女神をわが身に舞い降りさせる術も在る。
女性に恋をしたり、物事に腹の立つことがあったり、そうした情念に揺り動かされて絵筆を握った頃からだいぶ歳月が過ぎ去ったが、自分の本質的な部分は少年の頃から変わるすべもなく、相変わらず、余り論理的ではない、情緒的感情的な側面から制作の発想を得ている。生まれ持っている自分の血は変えられない、結局これと付き合い実り多いものにせねばならない。
我が生命、いのちの投影である作品を残したい。

ふと自分が世の中に送りだしたい作品を漠然と思い描くと、もう。残り時間の少ない年齢になってしまった。
夏目漱石が「草枕」の中で絵描きのことを「画工」と表記し、「エカキ」と読ませている。僕の日常が絵を描いたり、版画の版を工作したり、彫刻刀や鑿を研いだりの日常を送るなかで、我が意を得た表現と思って気に入っている。

 

廣田雷風